平穏死が理想。でも、認知症になるくらいなら安楽死、尊厳死を選びたい。

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両親の口癖。
絶対に、認知症になりたくない。
ホント、老化とともに訪れる終末医療、介護の問題。
平穏死が理想だけど・・・現実は・・・大変。
安楽死、尊厳死など死について考えてみたい。

認知症の恐怖。自分自身の命を絶つ権利を考えて

rougo

なぜ急に死について考えてみようと思ったかはこの記事を読んだから。
橋田寿賀子氏(91歳)
夫はすでに他界。子供はいない。親戚付き合いも疎遠。
天涯孤独。
知人、友人は多数おられることだと思いますが、介護を依頼するほどの人はいないでしょう。
それに、たとえ知人が手助けしてくれても、他人に迷惑をかけたくないもの。
この人生の終末を迎えた人に対して、日本の医療は何をしてくれるか?

答え:出来る限りの延命治療のみ。

日本の法律の限界。

人間としての尊厳を無視して生きなければならないのでしょうか?

介護・認知症が不幸の連鎖を生み出す悲劇


これが果たして先進国日本の幸せなのだろうか。
母親が認知症になり、介護をするために仕事を続けれれず、生活保護すら拒否され、
誰にも頼れず、誰にも手を差し伸べてもらえず、無理心中へ。

近年、介護疲れによる無理心中や殺人が起こっている。
これを、ただの殺人と同一視していいのだろうか?
誰でも、同じ境遇になったら、どういう決断をするかわからない。

そして、この介護殺人を社会問題として考えるだけでいいのか?
こういった事件が起きると必ず、自治体、介護が矢面に立たされる。
社会的セーフネットが機能していないことは問題だ。
しかし、本質的な問題として、それだけでいいのか?

本人が認知症になる前に、自分自身で尊厳死を選ぶことはあってはならないのか?

勿論、現在の日本の法律では違法行為。
医師がたとえ患者の要望でも、手を下したら殺人ほう助。
家族が手を貸せば、それも殺人ほう助。

法律で禁止されているかもしれないが、
法律自体が間違っている、または時代に即していない可能性もある。

医療技術の進歩が超高齢化社会を作り、法律とのかい離が生じている

昔は、現在のように80代、90代になるケースは極々稀なケース。
だからこそ、高齢になるとお祝いがあるんだから。

  • 古希(古稀)・・・70歳
  • 喜寿・・・・・・・77歳
  • 傘寿・・・・・・・80歳
  • 米寿・・・・・・・88歳
  • 卒寿・・・・・・・90歳
  • 白寿・・・・・・・99歳
  • 百寿(紀寿)・・ 100歳

以前書いた記事だが、人口ピラミッドが50年前とはまるで違っている。


昔の日本では、高齢者になる人が圧倒的に少なかった。
そう、認知症になる前に病気でお亡くなりになる方が大多数。
しかし、医療技術の飛躍的進歩により、日本は超高齢化社会になり、その現実に法律とのかい離が生じてきている。

現在の法律ではこの超高齢化社会を想定しているとは考えられない。
勿論、尊厳死は命の問題だ。
簡単に法律で答えが出せることではない。
しかし、この問題を先送りし、見たくない現実を見なければいいのか?
今後も、不幸な介護事件が起きるだろう。命の問題は、アンタッチャブルで議論を避けたいかもしれない。

ただ、もうそろそろ、”生きている”ってことについて考えていいのではないか。

実際に、生きているというのはどういうことを指すのか?

  • 生きることだけが人間の目的なのだろうか?
  • 生きていさえすればいいのか?
  • 呼吸をしていれば生きているのか?
  • 心臓が脈をうってさえいれば、生きているということなのか?

医学的見地から見れば、心臓が鼓動が止まっていなければ生きていることなのかもしれない。

でもね、ホントに医学的プロセスがすべて正しいの?

あなたにとって生きているってことはどういう状態だと思う?

拙者は、
自分の頭で認識し、理解し、判断でき、人生を楽しんでいる状態だと思う。

  • 好きな食べ物を食べて、あー美味しいなぁ!
  • 友人とおしゃべりして、あー楽しいなぁ。
  • 散歩をしながら、あっ!花が咲いているなぁ。綺麗だなぁ。

こういう何気ない日常を満喫できて、幸せな気持ちになれてこそでしょ。
こういう充実した生活が出来なければ、生きていると思えない。

拙者は、尊厳死を選びたい。
誰にも迷惑をかけず、自分で認識し、理解し、判断して尊厳死を決断したい。

これが、拙者の人間としてのプライドだ。

両親との会話:認知症だけは死んでもなりたくない

  • 両親「認知症にはなるくらいなら、死んだ方がマシ」
  • 両親「ボケて周囲に迷惑をかけてまで行きたくないなぁ」
  • 両親「延命治療はしなくていいから。生きている人の人生が大事だし」

両親は常に、認知症を恐れている。
祖母は認知症になり、徘徊することもあった。
都会ではなかったので、タクシーで遠出することなどはなかっただけよかった。
祖母の晩年は、認知症でも、ひきこもり型だったので徘徊する心配はなかった。
ただ、祖母がどんどん周囲の人を認識できなくなったり、意味の分からないことを
叫んだりと、両親は介護に相当苦労していた。

だからこそ、両親は自分は(祖母の様に)なりたくないという固い決心を持っている。
しかし、人間なりたくて認知症になるわけではない。

拙者としても、両親が認知症になるのが恐怖だ。

介護が大変だってことだけではない。

日本でも尊厳死・安楽死の選択が必要では?

尊厳死とは、自分自身が人間としての尊厳を持って死を選ぶこと。
人間として誇りを持って、自らの死を決断する。
終末を迎えるにあたり、回復の見込みがないにもかかわらず、延命治療により
死期を先延ばしするのを止めて、自然な死を選ぶこと。

遺言状、リビングウィルなど文章化して、本人の意思を残しておく。
こういったことは、両親と真剣に話をしておいた方がいい。

  • 「両親はまだ若いし・・・」
  • 「そんなこと話せないよ」

でもね、老いって急にくるよぉ。

実際に、緊急事態の場合、医師から延命治療しますか?
って決断を迫られたらどう判断します?

今まで延命治療したら、2度と器具は外せませんよ。
器具を外したら、殺人ほう助ですよ。でも、延命治療しなければこのままお亡くなりになりますよ。
どうしますか?

すごく難しい決断です。

自分が両親の命の決断をするわけですから。

今、元気なうちに考えておくと言い思います。

ちなみに、拙者は延命治療は拒否します。
両親から、延命治療をしないでほしいと言われています。

もし、緊急事態にもきちんと両親の意思を尊重したいと思います。

また、橋田寿賀子氏のように安楽死を選択すのもいいのではないでしょうか?
この安楽死、自殺ほう助の問題は非常に難しいことです。
ただ、自分の命を自分がどう扱うかは自分自身の権利ではないでしょうか

神様、両親からもらった命。粗末にしたらいけません。
でも、80代、90代まで立派に生きた。
命を粗末にしてこなかったわけですから、本人の意思を尊重すべきではないでしょうか。

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