ドラゴンクエストⅢでグループ攻撃武器が採用されたと知った時の虚無感

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ドラゴンクエストⅢそして伝説へ・・・
ファミコン版が発売された際は、社会現象にまでなった名作ゲーム。
日本でドラゴンクエストⅢを超えるゲームは存在していない。

なぜ今、ドラゴンクエストⅢなのか?


ごめんなさい。なぜ、いきなりドラゴンクエストⅢなのか。
拙者自身よくわかりません。
ただ、フッと幼少期の記憶がフラッシュバックのように思い出されて居ても立っても居られないので、書いた次第でございまーす。

きっかけは、youtubeなどにアップされているドラゴンクエストⅢの名曲の数々。
もう、20年以上たつにも関わらず、色あせない名曲たち。
ホント、
作曲家のすぎやまこういち氏、シナリオの堀井雄二氏、キャラクターデザインの鳥山明氏。

全ての人が日本を代表するクリエイターであり、最高傑作だ。
あの独自な世界観。キャラクターの個性、洗練されたシナリオ。

今でも当時の感動がよみがえってくる。
そして、幼少期の思い出も。

ドラゴンクエストⅢの思い出

拙者がドラゴンクエストⅢをプレイしたのは、ファミコン版が発売されてから、数年が経過してからのこと。当時小学生低学年であった。
ファミコンブーム全盛期のなか、家族で今でいうホームセンターに行った時のこと。

母親「ドラゴンクエストⅢが凄く安くなっているねぇ」

拙者「なに?ドラゴンクエストって」

母親「ついこの前、発売されたとき大行列になっていたんだよ」

拙者「ふ~ん、そうなんだ」

父親「安いし買っていけば」

当時、ドラゴンクエストⅢに全く興味を示さなかった。
というより、ファミコンはマリオ、ワギャンランドなどアクションゲームがメイン。
ロールプレイングゲームの存在を知らなかった。
全く興味がないドラゴンクエストⅢであったが、滅多にゲームソフトを買ってくれない両親が進んで購入してくれたことに驚きを感じながら、それだけの魔力がこのゲームにはあるのかと不思議な気持ちをもった。

家に帰ると早速、ドラゴンクエストⅢをプレイ。
全く前提知識がないままに、プレイし始めたため、ドラゴンクエストⅢが何のゲームかさえ理解していなかった。

勇者になって魔王を退治するゲーム。

「でっ!どうするの?」

「ルイーダの店で仲間を見つけろ」

なんだかよくわからないなぁ。
今考えればしょうがない、小学生低学年にとってドラゴンクエストⅢは意味がサッパリわからないゲームであった。

町の外に出たら、モンスターが出現。
取りあえず、Aボタンを連打。

何か知らないけど、敵から攻撃を受けると、画面が赤くなっていき、仲間が倒れていく。
全員が倒れると、王様の前に連れていかれる。
なぜか、仲間が全員棺桶に入っている。
協会に行くと、生き返らせるんだけど、お金がかかる。
お金がない。
お金を貯めるには、モンスターと戦って勝つ。
でも、仲間が全員棺桶に入っているからモンスターに勝てない。
で、またモンスターに全滅させられる。
全滅させられとお金が半分減る。

死の無限ループ。

当初、仲間を生き返られるゲームと化していた拙者のドラゴンクエストⅢ。
当時、インターネットでググるなんてこともできず、必死に取扱説明書を読みながら勉強。

HPってのがなくなると死んで棺桶にはいっちゃう。
MPはなんかよくわからないけど、なんか関係あるのかも。
画面が白色→緑色→赤色になるほど、棺桶に入りやすい。
宿屋に泊まると、HPが回復するらしい。

ようやく、ここまでは理解できた。

ここからは、棺桶に入っている仲間全員を生き返らせる生活。
この状態から、一人生き返らせ、またモンスター退治。
またお金が溜まったら、一人生き返らせの日々。

今考えれば、リセットして最初からやり直せばいいのに、当時は変な責任感で
「死んだ仲間を生き返らせてあげないとかわいそう」って感じで頑張っていたなぁ。

そう、こういう苦労を伴にした仲間たちとの冒険の数々。
小学校の友達の中にも、ドラゴンクエストⅢをやったことある人がいて、教えてもらったり。
やっとこさ、とうぞくの鍵をゲットして、ロマリア到着。
必至にお金を貯めて、強力な武器を購入したり、苦戦の連続。

で、通常は北へ進みカザーブを目指すのが常套手段。
でも、友達から

「右に進んで、イシスを目指した方がいいよ。北に行かなくても大丈夫」

ってアドバイスを信じ、イシスを目指し邁進。
途中で出会うモンスターの強いこと強いこと。命からがらイシスに到着した。
もう、仲間たちの半数が棺桶状態。

常にハラハラドキドキの冒険に心をときめかせた。
ホント、難易度が高かった。
まるで実際に、自分が冒険しているのではと思えるほど、素晴らしいシナリオ、臨場感。
楽しさ、悲しさ、怒り、うれしさ。
魔王バラモスにたどり着いた時の感動は今でも忘れない。

まぁ、冒険の書が消えてしまって、ここから先に行けなかったんだけど。
冒険の書が消えたときの絶望感は半端なかったなぁ。

ドラゴンクエストⅢのスーパーファミコン版が発売され衝撃を受ける

ファミコン版ではセーブデータの故障により、魔王バラモスを倒せなっただけにリベンジとの思いで、スーパーファミコン版ドラゴンクエストⅢに挑戦。
当時はリセットボタンを押すなんて、棺桶に入ってしまった仲間がかわいそうだなんて
純粋な心はどこへ行ってしまったのやら。

アリアハンでは宿屋に泊まらなくても、自分の家に行けばHPが回復できるってことも知っていたし、サクサクと冒険は進んだ。

とげのむちを手に入れるまでは。

とげのむち。
とげのむちはファミコン版でも初期の武器。

スーパーファミコン版でも初期に入手できる。
しかし、ファミコン版とスーパーファミコン版で仕様が大きく異なっている。
劇的な変化だった。

そう、スーパーファミコン版では、とげのむちはグループ攻撃できる。

これを知った時、何とも言えない虚無感に襲われた。
なんでだろう、ゲーム攻略にとって有利な仕様変更なのに。

ファミコン版ではグループ攻撃が出来なかったことで、自分なりのグループ攻撃戦法を
考えてプレイしていた。

勇者、武闘家、僧侶、魔法使いの4人パーティを選択していた。
各職業によって魔法を覚えるレベルが違うこともあり、レベルアップが非常にうれしかった。
グループ攻撃をする際は、勇者が覚えるギラ、僧侶が覚えるバギ、魔法使いが覚えるギラ。
この取捨選択がダンジョン攻略のキーになっていた。
多くの魔法を使いすぎると、MPがなくなり、回復呪文が使えなくなり、全滅してしまう。
逆に、MPを使わないように魔法攻撃をしないと、モンスターの攻撃で大ダメージを受ける。

この微妙なバランスが、ダンジョン攻略をよりハラハラさせてくれた。

それが、とげのむちなどのグループ攻撃武器の出現でハラハラ感がなくなった。

MPをセーブしても、グループ攻撃武器があるので、大ダメージを食らうこともない。

そう、あのファミコン版での緊迫感が全くなくなった。
それは、作業ゲーム化を意味していた。

ちょっとしたゲームバランスでここまで緊張感がなくなってしまうんだなぁ。

まぁ、クリアしたんだけどね。スーパーファミコン版で。
最後までプレイしてみて、やっぱり素晴らしいクオリティのゲームだ。

ドラゴンクエストⅢを知っているから、今のゲームはちょっとねぇ・・・

今のゲームも面白いかも。
スマートフォンゲームはガチャ機能があるため敵も強いし、緊迫感は高い。
でもね、ガチャ優先でシナリオなんてどうでもいいって感じ。
強い敵を作ったから、課金してガチャ回して、もっと強力なキャラクターゲットしてね。

こればっか。
無限ループじゃん、永遠に。

なんで、ゲーム業界ってこういう拝金主義になっちゃったんだろう。
いつの間にか、子供をだましてお小遣いをかすめ取るようなビジネスモデルができたのか。
昔のように純粋に面白い作品を作ろうって魂はもはやないのか。

キャラクターが綺麗なビジュアルなら何でもいいのか。
シナリオの重要性が失われてしまったことが嘆かわしい。

結論

ソーシャルゲーム業界は業界独自の規制を実行しないとゲーム業界自体が崩壊する。
今のようなビジネスモデルでは、いずれ飽きられる。
音楽業界がいい例だ。
ユーザーを馬鹿にしているようなビジネスモデルがまかり通ってしまったことに多くの日本人は嫌気して音楽離れが深刻となっている。
ゲーム業界には同じ失敗を繰り替えてしてほしくない。

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